エピローグの議論をちらっと読んだ。
私の見解なんぞ参考にしないかもしれないけど、当たり前のことを当たり前のように語るだけの能はあるので、書き置きしておきたい。
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「村人同士が対立するときは、大抵人として相互的に理解しようとする試みが不足している(=相互理解が足りてない)」と説いて回っている。村同士での対立を避けたいなら、「異なる価値観を持つ村人もいる」という認識があればいい。
一方で、すべてを「それは価値観の違いだね」で済ませると、人狼が自分の都合に合わせて、あたかも正論のようなことを説いてるケースには対応できないという反論もあるかもしれない。確かにそれはそう。
では、どうするべきなのか?
重要なのは、意見の一致によって敵味方を即座に区別しないことじゃあないのか。言い換えれば、相手の意見に「理」があるときに、それもまた正しいのかもしれないと受容すること。
そして、なにより意見が対立したときに「なぜ意見が対立したのか?」を探り続けようとする姿勢なんだろうね。
神楽と話したことを端折らずに説明するとこんな感じ。
正直、白要素黒要素の拾い方なんて人よって千差万別なので、冬至みたいな手法で正解にさえたどり着けばなんでもいいんだけどね。
まとめ役が消し飛んだら烏合の衆になるので、対立しないに越したことはないと思うのであった。