シルウァ-ダイヤ間のシルウァの初動周りは、シルウァの動きはダイヤのような人から疑われることが想定内なのではないでしょうか。
疑われてどう推理をしてくるか、も込みで自分の位置が下がることをシルウァは分かったうえでそれを処理出来るからやっていると解釈していましたね。
意図的な位置下げはそこをどう取るかは人次第ですが、分からない、白と取る、疑う、のどれにしてもその人の背景や技量、動機を見るのに有効でスタンスを見やすいんですよ。
作為がある、という種を村側にも植えることになるのが村を判断しやすくするに繋がりもするというか。まあこれが惨事になりうるはそうですが、真っ当にやっても疑われることはありますし。逆に信用を獲られるきっかけにもなりえます。
ダイヤの否定という訳ではないですが、ダイヤの言いたいことだけだとシルウァの有用性に光が当たってない気はします