意外とここに実例がいたりする訳だけど、人間が100%こうだって本心から思い込むことのハードルは高い。
私もジークムントに対してレイ狼とかシリウス真とか考えないの?って旨のことは言ったし、その時点でシリウス狼や!って確定視していたであろうその他大勢と比較して、対照的ではあったと思う。
黒視でも白視でも良いが、考察っていうのは自分自身を洗脳するか、あるいは自分自身を説得する行為だと言い換えても良い。
むしろカンベエが死んだり、ジェラルドが死んだりしているのは、そういうスキーマを作り出すことができなかったからで、そこに真っ向から否定を入れてしまうのは、今よりも明確な対立構造を作るべきだと言っているに等しいと思う。
要するにフェリシテに「死ぬまでやろう」って言いたいんだろうか。