非常にふわっとした私の芸術的感覚による、実際の台本には則っていない話でもしよう。
この村の類まれなトーンは、ミュウ・アインス・マルハレータをはじめとしてソフィア・ライカ・ケンチクあたりの面子の、
揃いも揃って理性本位主義の生命体による演劇活動のしろものであることは疑う余地がないよね。
そしてこの舞台上だと特定の要素、ざっくりいうと感情面の要素の比重がめちゃくちゃに低い。
また、JP・MPなんて言葉が飛び交う通り、個人要素を個人要素として理解する価値観が徹底されている。
ジョシュアにとっては極端に戦いにくいフィールドだったのは、たぶん間違いないのだよね。
おそらく対話重視の村であれば、完璧に絡め取れたと思う。
その状況でここまで渡り合ってるんだから胸を張っていいと思うのだけども……。
ガヴァネスの落ち度もゼロでちょっとびっくりするくらいなのだが、
ジョシュアがジョシュアを貫き通すのも全く簡単ではない技術。