それはよく泣く赤子であった。意味も理由も自覚することなくただただ泣き叫んでいた。その叫び声に当て書をつけるならばきっとこう、であることすら当人は知る由もない。 たとえば致命的な喪失と断絶言葉で説明のできない繋がり。唯の一片として生きることのできなかった悲懐を、哀傷を、肌で感じ取って拒絶する様は激しい夜雨の如く。 然しそれも成長と共に治まり、ただの赤子の癇癪として片付けられ、根本から上塗りされたまま齢十七までの足跡を紡ぐ。**