まあゲーム観や耐性という事もあるのかも知れないね。
票を弄る事による誘導方法もある、
そしてそれを村側が仕掛ける可能性もある、
というケースを事前に知っているか
または自分で思い至る事ができれば、
それを村側が仕掛けた誘導の可能性もあるという前提で
推理に組み込むか組み込まないかという
能動的な選択肢を持つ事ができるのだけど、
そういう可能性があると知らない、
あるいは思い至らないと
村側の誘導の可能性もあるという前提で
推理に組み込むか否かを自分で決めるという
選択肢は生まれない。
そういった、知らなければ、思い至らなければ、
それを考慮した上で推理するという選択肢を
与えられない点が村側の騙りが
物議を醸しやすい所なんだとは思う。