自由占いの進行論って「全員の真を可能な限り追う」これに尽きるその代価は「灰吊りの余裕がなくなる」事決め打ちにしろ、真占噛まれ後のグレランにしろ、最終的に残った灰村に重きを置いた進行というのが正しいと思うんだ運が良ければそうならずに済むけど、そうならない可能性を常に意識しなきゃ行けないのだけど、余りに黒ロラに流れやすいそれは『託す側/託された側』として自責を他責にしやすい無意識があるかもねつまり、自分が責任を背負わずに済むという感覚