◆カナコ
オルカ真演説の妥当性は私も高くない(=オルカ個人要素の範疇)とは思いますが、考察の過程と両占との距離感で人っぽいなーと思ってます。
カナコのオルカ考察は真仮定時のオルカ人物像の把握(>>70の2段目)を仮説として、それがオルカの他の行動に適用できるかで真偽を判断しています(>>70下段)。それで通った結果がオルカ真主張。
そしてそれと同じロジックでポリフォを見たときには、今一つポリフォの行動に納得感が得られず、真視には至らず>>77。でしたが、合点が行けば思考は進むのですよね>>82。
まとめると、>>70時点でオルカ真に手応えを感じてパーっと筆を走らせてみたものの、後々ポリフォの解像度が上がって来て、今では外野が思うほどカナコの中では占真贋って偏ってはいないのではと推測します。
そういう手探り感と、両占の探り方が赤持ちではないように感じます。
あとカナコの中では言語化できる(≒村仮定の行動として自分が理解できる)ことが判断基準になっていて、それに準じた行動をしている点も人っぽし、ですね。
カナコ★↑どうでしょう?