因みに、私がテレーズ吊りの日に「真証明」を求めたの、あれは内容それ自体に、あまり主題を置くつもりはなくって。対抗を決め打たれたのなら負けがほぼ確定してしまう上で、両方決め打てないとさせるための「熱意」を求めてしまったの。ただ、これは求めすぎてしまっているかもしれないから、強くは取っていないのだけれど。絶対の自信を持ってアントリーを打てる、とまでは言うの難しいのだけれど、先の見据え方と、自己生存を求める偽仮定とのズレが、総じて真には見えている、ところ。