人間は性善説か性悪説か。本来通りの意味で語ろうとすると話がややこしくなるので、ここではいわゆる世間一般の理解(誤解)としての性善説と性悪説として。
「その人の主観の中では性善説だけど、傍目には性悪説に見える場合もある」というのが私の中の結論。
その人なりに真面目にやろうとしている、という善意は信用のできる前提として認めてよくて、ただし視野狭窄で勘違いをしたり自己正当化して逸脱行為をしたりすることもある。だからその人の視界で何がどう見えているのか、という視点とレースは大事にしたいです。
隙時語深夜特権其一番言謝謝茄子null歩