林檎についてだけどね。
脳のキャパの使い方が村側かなと思える箇所があった。
>>1:224でぼんやり全体向けに緑青をフォローしているのね。
具体的に誰のこと? ってきいたら>>96返ってきた。
狼はグレコンの関係で「誰が誰を疑っているか」について村より相対的に敏感であることが多い。
「気にしていない」か「詳細まで把握している」か。白か黒なのね。
対して、村は「誰が」という部分より、「何が起こっている」という事象に意識が向きがちなのね。
(村時「誰が言ってたかは忘れたけど、○○が黒いと言われてたな」ってこと、ないかな?)
林檎の緑青に関するアプローチは「誰と誰が」という個を飛ばして「誰までかは確認していないけど、青緑が不理解されている」という集団宛の懸念なのね。
この手の抜き方は総じて把握すべきことの多い村側に多い傾向があると思っている。