何かしらの一助になればという話ですが、どうも村狼の考察を組み立てる上で、論の根幹が「一般論の延長」でしかないこと多い気がします。
何のこっちゃって言うと、その場に即した前提条件の設定≠ンたいな内容(例として>>68で言ったような話とか)を他人に見た記憶ってほぼないので。
やった上で二人静狼って所に落ち着いてるんで何ともですけど。量より質って言いますが、質を保証するのはそういう見方じゃないのかなとは思う訳でして。
一考察し終えたあとの手応えっていう、主観で質のあるなし決めてる所ないですか?
あとは私占い内訳を曖昧なままに本能で動いてる節はあって、でもそれに近しい言動が最終的に村目として刺さるんじゃないかなーとかは思います。