>>33
コミュニケーション能力とそれに適した人格……という話だったが、それはおおむね比例する関係だと思うのだよな。人格と言うより、ここでは単に「精神」の成熟度合いといった方が正確なようにも思われるが。
相手の言いたいことを理解するよりも、自分の言いたいことを自分自身で理解するというメタ認知。それがコミュニケーション能力の向上、ならびにその人の「精神」を育てるものだと思う。
そこから発展していくのが表現の選択。その表現のうちに語彙はもちろん、話し方、人の話の聞き方などの態度。すなわち「人格」がある。
その人格に治療・矯正が必要なのかと言われると、それはそうでもないように思う。もちろん、好かれやすい人格というのはどうしても存在すると思うが、では好かれなかったらイコール嫌われるのかと言うとおそらく違う。
いくらそういうウケの良さがあったところで、その人の在り方、その人が自分自身を生きることというのが人格に出る。「合理的だが不自然」というのはこれのことだろう。