ロッテ村仮定時、「ハイヴィ! あなたはできる子ですわ! それがどうして占霊以外の襲撃択があるなどと!(親心)」と親心を爆発させているだけだろう。
一日目に述べたように、ロッテは“理解”を大事にしようとしている(ここで「できているかどうか」は問題ではない)。
一方で、ハイヴィの「質問」は他者への理解を助ける動きに見えるものの、実情は自己完結よりだ。ロッテの期待(=理解)につながるようでそうではない。ゆえに落胆している。
ハイヴィが困惑してることに俺も困惑している。
やはり当事者からだとわかりにくいものなのだろうか。