ジュードは鴨嶋か静子かで悩んでいたはずなのに、静子を占いたくないのがにじみ出ている「私がどうこうしても静子」は、ジュード静子のラインを指摘してる内容そのものがライン考察として適切である。指摘している人(みっちー)の非ラインではない。ね。