>>+215
1.ある程度は合理的である
通常「意識して不合理に考えるか」は否定されると仮定、背理的にその論を肯定する形となる。
但し、何が合理的かの判断は本人の主観によるものとする。
2.それでは(議題としても)不足である
合理性を捨てる背景の大部分が感情によるものかという話では
まず数値上では不合理であっても現実的・大局的には合理的と認められるケースが多々あるため、
合理的の定義付けによりそれらの区分が必要である。
また、そもそも本人にも何が合理的かを認知せず行動に起こすケースが散見され、感情に支配された結果として認知力が低下したのか、認知力は失わず逸脱を選択するも区分が必要と思われる。
補足として
上記は遊戯上での話であり、生死の関わる極限状態においては参考とすべきではない。